春休みも終わり、3年生になりました!
前回までの話はコチラ↓
【ウチの不登校②】行かない理由がよく分からない!担任に相談するも失敗に終わる
3年では、相談していた気の合わない部活の子はいませんでしたが、仲良くしていた子もほとんどいませんでした。
私が思うに、不登校が始まった時のクラスの子を出来うる限り切り離してくれたのでしょう。
別にクラスの子は不登校の理由ではなかったようで、「今度のクラス、話す子がいない…」と言っていました。
進級して数日行きましたが、結局不登校は続きました。
しかーし!!時はコロナ元年。
進級してすぐ訪れたのは、そう緊急事態宣言による休校です!
母も在宅ワークになり、向き合い過ぎた時期
学校が休校になり、しばらくはやることもなく、外にも出にくい状態でしたよね。みんな。
次女の生活習慣は徐々にズレていきました。
が、私的には、どうせ休んでしまうなら、欠席日数が増えないのは助かる!と思っていました。
この辺の公立高校の受験には、欠席日数が〇日以上だとダメと言われていたからです。
あと、学校に休みの連絡をしなくていい!というのも気が楽でした。
正直、「またか…」と重い気持ちで電話し、先生に理由を伝えるのが嫌でたまらなかったんですよね。
悪いことしてるわけではないのに、「すみません…」
正直ひとことで言える理由じゃないのに、「お腹が痛いようで」「頭が痛いそうです」「気持ちが悪い感じ」ととりあえずその日言われた理由を伝える。
先生も分かっているんだろうけど、理由を聞かなきゃなんないから、「そうですか、お大事にしてください。」と言う。
お子さんの不登校に悩む親御さんなら、一度はきっと感じたんじゃないですか?
だから、その連絡をしなくていい!っていうのはホッとしたんです。
ところで。私の会社も、いきなり在宅ワークに突入しました。
みんな初めて。
やり方もみんな手探り。
お昼前に起きてくる次女は特に何もしないで、今年受験生なのに大丈夫かい?と思いましたが、私自身もストレスMAXだったので、あまりうまく関われませんでした。
学校に行けないと困るのは自分だよ。
学校に行けるように生活を整えて。
今思うと、次女にとって呪いのような言葉をかけていたんですよね。
さも正論のような言葉で、まだあなたは子どもだから分からないこともあるだろうけど、こういうものだよと。
次女なりにそんなこと分かっているのに、追い詰めちゃうことが多かったと、反省というよりその時の自分を今でも責めています。
休校明けからさらにひどくなりました
次女本人も切毎回り替えようと思うのか、節目の1日目は学校に行きます。
休校明けも行きました。
でもすぐ不登校に戻り、行くのは週に1~2日です。
行けた日も、無理やり私がたたき起こして、自転車を車に積み、「早く早く」と急かして連れて行くことばかりになりました。
私が帰宅する時間帯は、ちょうど近隣の中学生・高校生の帰宅の時間で、車の中からいつも眺めていました。
楽しそうに友達とおしゃべりしている子たち。
部活の荷物をたくさん抱えて自転車で家路を急ぐ子たち。
ちょっと前まで、アソコにいたのは次女だったのに…。
何がいけなかったんだろう。
自分を責め、毎日泣きながら家へ帰っていたなあ…
高校生になった今でもたまになりますが、思い出すだけで切ない気持ちが蘇っちゃうシーン。
今回の担任は年配で面倒見がいいと評判の女性の先生でした。
「今日も体調が悪くて…」と連絡入れる時も、優しい言葉をかけてくれました。
送っていった時にも「遅刻でも早引きでもいいから、来ることで欠席日数にカウントされないので」とアドバイスしてくれ、ありがたかったです。
次女は、部活での気が合わない子のこと以外にも、
- 人の悪口を聞くのが嫌
- 可愛くなりたいとやってる子を悪く言う人ばかりで嫌
- 勉強なんてしたくない
- 高校に行く意味がない
- 自分がかわいくないのが辛い
など、聞くたび学校に行かない理由が変わり、まあ理由は一つではないとは思ってましたが、私も割と混乱してました。
調子のいい時は
「〇〇高(次女の成績では相当無理めな進学校)に行こうかな~」
なんて言い出してたので、高校行きたいのか、行きたくないのかその対応に迷いました。
塾も休みがちになっていたし。
でも、冬になって「高校に行く」と決めた時のために、欠席日数は今以上増やしたくなかったので、とにかく引きずるように学校まで連れていきました。
私はまだ在宅ワーク中だったので、中抜けしながらでも必死になって連れて行きました。
ステキな高校だな、行きたいなと思ってくれるよう、高校の説明会も公立私立通信制と複数ずつ行きました。
高校に行くことが全てとは思っていませんが、将来への可能性を残すことで、次女本人の気持ちが止まってしまわないように必死だった私。
「お母さん、毎日先生に休みの連絡するの、もう嫌だよ…」と言ってしまうことも多く、
今思うと自分も次女もキツかった時期でした。
重い重い夏休み。応援団になって復活?と思いきや。
相変わらず、たまに学校に行くスタイルだった次女。
でも、クラスで仲良く一緒にふざけてくれる子もいて、「学校にいる時はすごく楽しそうにしてるんだよねえ」と先生も言う感じでした。
夏休みに入り、秋の運動会での応援団に入りました。
え?
と思いましたが、少し目立つようなことが好きなので、コレを機になんか変わるかも?と淡い期待。
とはいえ、夏休みの練習はほとんど出ることはありませんでした。
というか、この中3の夏休みは、鉄砲玉のようにすぐ遊びに行っていた頃が嘘のように、ほとんど部屋から出ることがなく、毎日暗い顔していたり泣いていたり。
親として力になれなかったこと、逆に追い詰めてしまってたこと、このころの切ない気持ちだけ残って、私自身もあまり記憶がありません。
夏休み明けから運動会までは、さすがに練習に出なくてはならないので、授業が終わってからの練習だけ合流という日も多かったですが、学校に行ける日も多かったです。
運動会では、元気に放送したり、応援したり、知らない人が見れば、毎日順調な子に見えるほど活躍していて、このまま頑張っていければいいなと思ったのですが…。
運動会後、また、たまに行くスタイルに戻りました。
修学旅行がなくなってしまったのも、大きかったんだと思います。
まー、ガッカリは他の子も同じで、次女だけじゃないんですけどね。
そうして、志望校を決める時期がやってきたのです。
➡続きます